「自分の人生を前進させたい」と必死に動く私を、毒親は笑い・罵倒し・そして妨害した

毒親育ち

私の中学時代は毒親によって家に縛られていたんですけれども、

毒母の喜ぶ顔を見たくて、部活や友達付き合いをせず家に直帰していた中学時代
中学生の私は、友達付き合いも部活もせずに毎日家にまっすぐ帰っていました。そうすると毒母が喜ぶからです。中学生活で得られる様々なものを投げ捨て、毒母を喜ばせることを最優先する哀れな毒親育ちの話です

その後、不登校の高校時代を経て、持てる力をふりしぼり、何とか大学に合格しました

いつも私のすることにケチや制限を付け、禁止する毒親ですが、彼らには根深い学歴コンプレックスがあり、子の大学進学を希望していたことが幸いしました

暗黒の中高時代から、晴れて大学生になれた

ここは自分の人生のリスタート・再構築のチャンスだ

大学合格後の私はそう思い、いろいろなことを見つけては挑戦しました

苦手な人の輪に飛び込んで人間関係の幅を広げたり、大学内外のさまざまなイベントに参加したり、いろんな講義を受講したり‥

そんな、忙しいながらも充実した日々を送る私のことを、毒親は何かにつけてバカにしました

毒母
毒母

なんかさぁ、

あんた必死でがんばっちゃってバカみたい!

歪んだ変な表情をしながら、こんな心ない言葉を投げつけるだけではなく、

おまえ、大学生なんてどうせ暇だろう

家のことをやれ!

そう勝手に決めつけ、私に様々な用事をいいつけました

毒親は、まるでその年代らしい行動を元気に行う私が憎いかのように、私を小ばかにしたり、用事を言いつけては振り回したんです

毒親の妨害対応と、自分の人生構築

この両立を元気に行えるほどには、私の心身のエネルギー量は十分ではありません

だんだんと疲労を深め、体も心もうまく動かなくなりました

やがて、定期的に引きこもったり寝込んだりする長い時間が必要になり、思うような活動することができなくなりました。

そうするうちに大学4年間はあっという間に終わりです。

私の大学生活は中途半端・どっちつかずな状態で終わってしまいました‥

私が前進することを笑ってバカにし、暇人と決めつけ用事を押し付けてきた毒親。

毒親はどうして、このように子供を簡単に道具として使えるか、非道な仕打ちを平気でできるのか?というと、かつて毒親も、自分の親に道具として理不尽に使われ、人生を罵倒され妨害さてきたから、それが当然だと思っているのですよね

いわゆる毒の連鎖です。

↑の記事は、わが毒父の人生を振り返り、彼はどうしてこんな毒満載の人間になってしまったのか?ナチュラルに毒を次世代に運ぶ毒人間となってしまったのか?を考えて書いたものです

親の代、いえ、その前からずっと続いている毒の連鎖というのは、不幸で不満だらけの毒親がいる家庭でこうしてナチュラルに次世代に引き継がれます

おかしい、と、誰かが立ち上がり、断つ決意をする人がいない限りは‥

そんな毒の連鎖が起こることで、私が大学時代、毒親から受けた妨害行為の一部を、ここに書いていきたいと思います

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「大学生なんて暇人だろう」と決めつけ用事を押し付けた

晴れて大学合格した私のことを、毒親は「大学生なんてどうせ暇人だろう」と決めつけ、”家で”一番暇な人間”と決めつけた私に、様々な雑用やクソみたいな用事をいいつけ、小間使いのように使うことを当たり前としていました

彼らは高卒。大学生とはどういうものか?をいまいちわからなかったのかもしれません

それでも、子が大学生になることで、「大学生というのは人にとって一体どんな期間なのか」ということを知ろうとすれば知れたはずです。

周りには大学生の子を持つ同世代の知り合いだってたくさんいたわけですから、知ろうという姿勢があれば知れた。

でも、毒親は知る努力など微塵もせず、古臭い脳みそ内の知識のアップデートを怠った。

その古い情報をもとに、大学生=暇=大学生になったこの子は暇!と思い込んだ彼らは、私を利用するのが当たり前だったようです

毒親は周りの人たちにいい顔をして、私に激安で家庭教師をさせた

毒親が我欲で押し付けてきた雑用の中でも、特に労力がかかって非常に印象深いのが、毒親の知人や親せきに安請け合いをして、いつのまにか勝手に決めてきた家庭教師(しかも大量の人数‥)です

私が大学合格直後、毒親たちは知人や親せきたちに

この子大学受かったんでぇ~、お子さんの家庭教師しますよぉ

あっお金なんていらないですぅ!

もうお小遣い程度でいいんですあんな子にはぁ!

と言いまわりやがりました。

私の大学合格を自分の手柄として自慢+私をただで使える道具として利用という私を何重にも使役するムーブを、私が知らない間にいつの間にかしやがっていたわけです

私は大学入学前から、私の知らないところで、毒親の知人や親せきの子供たち(小学生から高校生までの何人もの子供)の家庭教師をすることになっていました

親とつながる人間たちの子ですから、簡単に断る事などもちろんできません

家庭教師ってけっこう準備に手間をとられるんです

毎回の授業の前の勉強から、この子にはどう指導していこうかという長期計画をたてたり、テキストを選定し、生徒の進度や理解度によって計画を都度変更していって‥

それを何人も同時進行するわけですから。

受験生だと学校合格というゴールのための受験勉強用の計画もプラスして必要ですしね

そんな手間がかかる家庭教師というバイトが割に合うのは、他の仕事よりも時給が高いから、だと思います。

でも私の場合は、周りにいい顔して、安請け合いした毒親が絡んでいたため、そのメリットをまったく享受できませんでした。

毒親は家庭教師を決める時、勝手に「うちの子にはお金なんていいですからぁ!なんならタダでも(笑)、ほんと安くていいんですよぉ!」と言いまわり、私は低賃金、または無給(!)で毒親の知り合いの子たちの家庭教師をさせられていたんです

私のことをただでこき使い粗末に扱ってもいい。

私を日常的に自分の道具扱いしている奴ら毒親にとって、これはごく普通で当たり前のことなんです。

俺ら親のために子が無償で動くのは当たり前だと。

私はかかる労力のわりにもらえる賃金も少ないバイトに時間や力を取られ、貧しくみすぼらしい大学生でした

大学の友人たちは休日や午後~夜などにシフトを入れて、長時間の飲食のバイトをする子が多かったんです

稼いだバイト代でファッションや旅行を楽しんだり、バイト先で仲のいい子をみつけたり‥その時に得られる宝物のような経験を得ていて本当に羨ましかった

みんなみるみるおしゃれになったり行動範囲が広がっていくのが目に見えて、本当にキラキラして見えてまぶしかったです

それに対して私は‥

毒親に押し付けられた低賃金ブラック家庭教師業に手間がかかりすぎて(私は要領が悪いんです)、その状況でみんなのような長時間の飲食バイトなどすることがとてもできず、せいぜい土日や長期休暇などに見つけることができた短期のバイトをかけもちするのが精いっぱいでした

それでも手に入るお金は微々たるもの

女子大生だというのに‥いつも服は同じものを着てボロボロ、靴は空いた穴をボンドでふさいで履き、100円の飲み物すら高くて手が出ずがまんするような、そんな貧しくてみじめな大学生でした

動き回る私を全力でバカにした毒親

毒親にこき使われる大学生活がスタートしても‥それでも私は「何とか人生を再スタートしたい、再構築したい」という強い思いは消えず、できる限り、様々な活動にチャレンジしていました

私がこうやって苦闘する姿を、毒親はそれはもうバカにして笑うんです

バカにするのはその時だけではなく、何年たってもでした。

あんたさ、大学入ったころ、不登校だったころとは大違いで、

あっちこっちに行って、外でいろんなことしてたよねぇ?

妙に真剣で、必死な顔してさぁ。

あの時の必死な姿のあんた、横から見ててほんとおかしかったぁ!

毒親は、私の苦闘する姿を、こう馬鹿にしてはゲラゲラ笑っていました

これまでの人生で遅れを取った分を必死で挽回したい、人生を再構築したい、と必死な我が子のその姿を、いつまでも小ばかにしてあざ笑うんですよ?

悪魔ですよね?

こんな悪魔のような人間が、残念なことにわが親だったんです

エネルギーを削がれ、自分の人生にうまく集中が出来ない

親から押し付けられたことへの対処をしたり、必死で物事に取り組む姿を日々毒親に否定や嘲笑され続けながら、その合間に必死で自分のことをする日々。

ものすごいエネルギーを要しました

エネルギーを大量に消耗し、疲れがたまってくると、私にはたくさんの休憩が必要になりました。

そうしないと集中やがんばりが続かないんです。

空いた時間は部屋に引きこもってぐったりしたり、しっかり寝ないと力がたまりませんでした

休みの日は人と会ったり活動したり、友達と会って遊ぶよりも、部屋で休息を取るため、家に引きこもることが多くなりました

毒親から押し付けられた用事をこなし、その空いた時間と残ったエネルギーでやっと自分のことを行い、でも、そんな日々に疲れて倒れるように休息をしているうちに、

私の大学生活はあっけなく終わってしまいました‥

これをやった、という手ごたえも感じないままに、4年間は過ぎ去りました

毒親育ちは毒に絡まれ、普通に生きることはどこまでも許されなかった

家と学校の往復状態で、毒親の相手をし続けた中学時代。

不登校だった高校時代。

この暗黒時代をを経て、やっと大学生になれた!

それまでできなかった人間関係を作ったり、バイトをしたり、お金を貯めて好きなものを買ったり、勉強に没頭したり‥そういう、大学生だけができることにチャレンジしたり、そんな時間の使い方をしたかったです。

しかし‥そんな淡い希望は、毒親育ちの私にはかないませんでした。

普通の大学生として過ごしたい。これは過ぎた望みだったのでしょうか?そんなことないですよね‥

毒親に、体内に廻ってしまった毒親の毒にがんじがらめになっている毒親育ちの私は、一般的な、まわりのみんなのような、大学生として生きることはできなかった。

「お前は暇だろう」と毒親に決めつけられて小間使いのように利用され、それでも必死に活動するその姿を毒親に笑われ罵倒され否定され‥

私のエネルギーや時間は、自分の人生に使うはずの分を毒親に大量に使われてしまい、大学時代を思うように人生構築のために動くことはできませんでした

どんなに前向きにがんばっても、毒親から、様々な方向からエネルギーを奪われる状態から逃れられることができなかった大学時代

その結果、私の大学生活とは‥「特に何も成し遂げてないのに、なぜかめちゃくちゃ疲れている」という不完全燃焼・どっちつかずの大変残念なものとなってしまいました

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