結局、「実家が太い人」が勝つの?ーひとりの「実家極細の毒親育ち」からの考察ー

雑記

皆さんは、「実家が太い」という表現を聞いたことがありますか?

SNSなどでよく使われる表現です。「実家が裕福で、十分なサポートを受けられる状態のこと」を指すようです

同時に、「実家が太い人が勝つ」という論調で語られることがとても多いですね。上記のツイートを見てもそれがわかります

私が、これまで出会った様々な人を見て得た結論は、

実家が太い人は、勝つ(望み通りの人生を手に入れる)可能性はめちゃくちゃ上がる、ということです

私にとって、「実家が太い」というのは、下記の3点をすべて満たしている状態だと考えています

  • (1)金銭的に裕福な家に生まれ育つ
  • (2)家族は教養にあふれ、勉強などの継続的な努力をすることが当たり前の家庭環境である
  • (3)情緒の安定した親や親族に、いつも豊かな愛情をかけてもらえる

この3つの条件がすべて揃う人は、もう人生無敵モードですね!

これらを兼ね備えた人物と、私(実家が極細)との交流エピソードを交えながら、「実家が太い」3つの条件について、詳しく記していきたいと思います

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頑張れば、極細実家生まれでも幸せになれる?

中学生の頃、私は、「頑張れば報われる」と信じていました

生まれ育ちが貧しくても、親が何だかおかしくても、努力でそれをカバーすることが出来ると。

私の両親は共に高卒で、学歴コンプレックスが非常に強く、当時中学生だった私に、「勉強しろ!」「成績をもっと上げろ!」と怒鳴りつけてくる人たちでした

子供を使って、自分の学歴コンプレックスを解消したり、「勉強ができる子供を育てた俺たちえらい」をしたかったようです

私が勉強されしていれば、親は黙って静かになります

それに、当時の私は、親がおかしい=毒親だった影響で、十代はじめにしてすでに人間不信が極まっていて、「信用できない他人なんかに頼らずに、早く一人で生きられるようになりたい」と強く願っていました。

1人で生きるためには、いい職に就かなければならない。

それには勉強して、できるだけいい学校に入る必要があるね!

一生一人で生きるために必要なことを逆算した私は、まずは勉強して少しでも良い学校に入ろう、と狙いを定めました

いろんなことを両立できるような器用な性質ではないので、部活や趣味や友達関係‥すべてをかなぐり捨てて、ひたすら勉強だけしていました

その結果として、無事にそこそこいい高校に合格することができました

「進学校には、きっと私のように、好きなことすべてを投げ捨てて、勉強ばかりやってきて、苦しんできた人が、いっぱいいるんだろうな」

私のように、進学校って、いままで勉強しかしてない人だらけなんだろうな、と思ってたんですよね

そしていざ高校の門をくぐったら…

一緒に入学した人たちは、私のしてきたような悲惨な無理なんか少しもすることなく、ナチュラルに優秀な人たちであふれていました

私のようにガツガツして余裕のない人間はごく少数派だったのです‥

彼ら彼女たちは、私から見るといつも穏やかで余裕があります。

そして自分の個性を大切にしてきた人が多かったです

私と違って、勉強のために好きなことや個性を殺さなくても、ここまで無理せずスッと自然に優秀に生きてこられた人が多かったんですよね

また、彼ら彼女たちは勉強だけではなく、スポーツや楽器などの趣味を大切にしている人ばかりでした。

受験だからと言って好きなことを投げ捨てることなく、自然に趣味と親しみつつ過ごしても、優秀な成績を取れる人たちばかり‥

私は彼ら彼女たちを異星人を見るように見てしまいました。

自分とは違いすぎる。なんだこの人たちは…

そんな彼らは勉強モードになると目つきが変わり、ものすごい集中力を発揮します

そして私よりも、ずーっと優秀な成績を収めるのです…

私は、自分とクラスメイトとの、雰囲気や生き方の余りの違いに呆気にとられました

彼ら彼女たちと私は、一体何が違うのだろう?

すごすぎる人たちに囲まれた私は、彼らと私の、「違うところ探し」を始めました

そこで発見した、なにもかも捨てて勉強をしてきてやっと高校に入った私と、高校で出会った自然に優秀な人たちとの違い3点が、先ほど挙げたこちらだったんです

  • (1)金銭的に裕福な家に生まれ育つ
  • (2)家族は教養にあふれ、勉強などの継続的な努力をすることが当たり前の家庭環境である
  • (3)情緒の安定した親や親族に、いつも豊かな愛情をかけてもらえる

私が高校で出会った優秀な人たちの多くは、この私が考える「実家が太い」条件をすべて兼ね備えていました

一言でいえば、「お金・努力できる性質・周りからの愛情」

これらすべてに恵まれている人は無敵でした。

自分のスキルアップや心が満たされることにお金を惜しみなく使うことが出来て(使ってもらえて)、自然に努力ができる環境に暮らして、そして周りの人たちからの肯定や愛情に囲まれて‥情緒はいつも安定しています。

高校で出会った人たちは、人生が開始されてから現在に至るまで、心身が満たされて欠ける要素が皆無な豊かな環境に生まれ育っていた人ばかりでした。

「実家が太い」3つの要素

ここで、彼らが生まれながらに持つ、「実家が太い」三つの要素をくわしくみていきましょう

金銭的に裕福な家に生まれ育つ

高校入学後に気づいたのですが、共に入学した同級生たちは、医者、学者、会社経営者などを親や祖父母に持つ子が多かったんです

これらの職業は社会的地位だけではなく、裕福な家である確率が高いですね

金銭的に余裕があり、幼い頃から、趣味や学習、習い事などに金銭を惜しみなく投資されてきた子供たちだったということです

家族は教養にあふれ、勉強などの継続的な努力をすることが当たり前の家庭環境である

医者、学者、会社経営者に共通することは、常に勉強や研究を続ける職業であるということです

生まれ育った環境下で、生きる手本となる親や兄弟が、家庭内で常に努力している姿をずっと見てきたので、それが当たり前になるのでしょう

いつも息を吸うように自然と努力をするという姿勢は、親の背中を見て、自然と身についたのだと思われます

対極的な私の家庭

ちなみに、私の父親は会社員でしたが、家で仕事をしている姿をみることはただの一度もありませんでした

俺は仕事なんか大嫌いだ、俺はすぐにでも仕事をやめてえんだ。

俺はお前らのために働いてやってるんだぞ
俺は仕事を退職したら自由に生きるんだ

こんな愚痴を家族にグチャグチャとぶつけながら嫌々働く人でした。

日々の仕事をこんなに嫌々やっていたのですから、「家に帰ってまで仕事をする」なんてことは、彼にとってはありえないことだったのでしょう

父は毎晩、「あぁ疲れた!」と大声をあげながら不機嫌な顔で帰宅すると、すぐに狭いリビングのどまんなかにごろっと横になり、大好きな揚げ菓子をぼりぼり食べながら、寝る直前までテレビを熱心に見ていました

そんな父の姿を見て、母は、

「他のお父さんたちは、家で勉強や仕事をしているのに、うちのお父さんはいつもダラダラしてる!」

と私にいつも怒りの愚痴をこぼし続けていたものです

しかし、そんな母が、家で勉強したり、本を読む姿を目にしたことは、ただの一度もありませんでした

私が生まれ育った家庭で、両親の姿から伝えられたメッセージ。それは「仕事は辛く苦しいもの」「家で仕事の努力なんてやってたまるか」というものでした…

情緒の安定した親や親族に、いつも豊かな愛情をかけてもらえる

彼らの親は、優秀で努力家なだけでなく、穏やかで情緒が安定していて、子供をいつも温かくサポートしてくれるタイプが多い印象でした

少なくとも、私の親のような、気分で子供を怒鳴ったり、殴りつけてストレスを解消する、というタイプはほぼいない印象でした

(ちなみに、友達と雑談中、そんな我が家の出来事を笑い話として話したことがありましたが、笑うどころか、会話は止まり、空気が凍りついてしまったんですよね…)

やさしくて子供思いのご家族に偶然出会った印象的な思い出があります

ある日のお昼の時間、いつも一緒にお弁当を食べていた友人Aちゃんが、弁当箱のふたを開けても箸を全然つけず、困った表情をしているんです

「どうしたの?」と尋ねると

「私が食べられないおかずが一つ入っている。きっと、お母さんが、兄の弁当のおかずと間違えて入れてしまったのかもしれない」と言いました

「え?そんなの、よけて他のおかず食べればいいじゃん。何言ってんのかなー?」

そう心で思いながら、私はコンビニで買った菓子パンをほおばっていました

その瞬間でした!

一人の品のいいご婦人が、教室の外からこちらに手を振っているのです。

Aちゃんのお母さんでした

お母さんの手には、お弁当の包みがありました

「Aちゃん、お母さん間違ってお兄ちゃんのお弁当をあなたに手渡してしまったの。ほんとうにごめんなさいね。作り直した、こちらのお弁当を食べてね」

そう笑顔で言って、Aちゃんへ新しい弁当を手渡し、手つかずのお弁当は持ち帰っていきました

その手つかずのお弁当、持ち帰るぐらいなら、私が頂戴して食べたかった…

Aちゃんが食べられないおかずがたった一つ!たった一つですよ?

ひとつだけ入っているという理由で、お母さんはお弁当を作り直して、お昼のタイミングにわざわざ学校に出向き、娘に渡しに来てくれるんですよ…

やさしさと愛のかたまりです。私が触れたことがないような、大きな母性愛を見せつけられ、私はめまいがしました

昼食が菓子パンだけだったので、栄養が足りなかったゆえのめまいだったのでしょうか…

しかも、お弁当を受け取ったAちゃんは、「もうーお母さんはドジなんだよねー」なんて、笑って終わりなんですよ?

このお母さんの一連の愛あふれる行動を、ごく普通のものとして受け取っているのです…

きっと彼女は、このような愛情を、生まれた時からずっと普通に受け取り続けてきたのでしょう

私がめまいを覚えるほど大きなお母さんの大きな愛は、彼女にとっては「ただの普通」なのです

ここで、とても対照的な、私の暗黒家庭の弁当話をご紹介しましょう…

高校に入学してから早々に、母からお前の弁当作りは辛い!きつい!愚痴をこぼされ続けていました

それを言われ続けるのも辛く、かといって自分で作る能力も時間も私にはありません

たまりかねて「お母さん、もう弁当は作らなくていいよ」と自分から申し出たところ、母はほっとした顔で、毎日昼食代として数百円を渡されるようになりました

私は毎日、コンビニでパンを買って昼食にしていたんです‥

  • 娘のためにと、一から作り直されて、お昼時にお母さん自ら届けられる手作りお弁当
  • 弁当を作るのを面倒がる母、渡された小銭で買う菓子パン

16歳の私にもよくわかる、よくわかりすぎる違いでした

私は高校入学後、このような現実に直面し、メッタメタに打ちのめされたのです

  • 裕福で
  • 努力する習慣を自然と身に着けられる環境で
  • 愛情あふれる家族に囲まれている

周りは、これらを当たり前のように持ち合わせた超人だらけでした

  • 「私が、好きなものすべてを捨てて、この学校に入った意味って何だろう?」
  • 「劣等感を感じるため?決して挽回することのない格差を思い知るため?」

混乱した16歳が、いくら考えても答えは出ませんでした

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実家が太い人たちの進路

高校で出会った同級生たちは、趣味を楽しみつつ勉強に励む毎日を送り、そのほとんどが、自分の興味・特性を見つけ、そこに合った大学へ進学していきました

現在は国家資格職や研究職などへ就いて、社会の一線で活躍している人ばかりです

医療職や学者など、親や祖父母が就いている職業に就く人が比較的多い、という特徴も見られます

しかし、中には、勉強に力をいれるのを途中でやめた子もいました

私が知っているそんなタイプの子は、ダンスや音楽などの趣味をゆるやかに仕事にしつつ、ゆったりと実家で暮らしたり、親や親族が用意してくれたマンションやアパートで、一人暮らしをしていました

その中の一人のBちゃんが、必死で就職活動をしている私に言った言葉がいまでも忘れられません

ティーコちゃんって、もっと面白い進路に進むと思ってたな。

なんでそんな、固くてつまらなそうな仕事ばかり狙ってるの?

どうして私が彼女の言う「面白い進路」に進めなかったか?

それは…残念ながら、仕事に楽しさを求められるような余裕のない家に生まれてしまったから。

楽しい趣味をゆったりと仕事にできるような家庭環境ではなかったから。

少しでも早く、長く、自力で稼いで生命を維持することを優先しなければならなかったから、といえると思います

「実家が太い」は強い、を思い知らされる漫画

私はこの「実家が太い」という言葉を目にするとき、10代の頃に夢中で読んだある古典漫画を思い出します

「オルフェウスの窓」という漫画です

往年の名作、「ベルサイユのばら」で有名な池田理代子氏が手掛けた、ヨーロッパを舞台にした壮大な物語です

ドイツのレーゲンスブルクという歴史深く美しい街。そこに住むイザークという男の子が主人公です。

彼はピアノの才能に恵まれていました。そのおかげで、貧しいながらも奨学金で名門音楽学校に入学することができました

彼のお父さんは、貧しい酒場のピアノ弾きでした。優しく理解ある両親でしたが、イザークは不幸にも、父母両方共を早くに亡くしています

イザークは、健気で美しい妹と、下町の狭いアパートで二人暮らしです。兄が高校生くらいの年齢なので恐らく妹はローティーンですが、貧しいために学校にも行かず、毎日町の野菜売りをして、家事全般を担当し、毎日兄を支えます

進学した音楽学校には、モーリッツという同級生がいました。彼は地元の有力者の息子でピアノの秀才、学校のボス格でした

裕福な家庭に生まれ、ピアノのスキルを高められるくらいに努力のできる人です。その上彼は末っ子で、溺愛といえるほどの、親の愛情を受けて育ってきました

「実家が太い」の3条件を憎らしいほど完璧に満たす者です

しかしこのモーリッツ。途中から入学してきたイザークの持つ、あまりに素晴らしいピアノの才能や、学校や先生からの高待遇に嫉妬し、イザークが大きく羽ばたくところを、様々な手を使って妨害し、邪魔をします

ピアノの能力以外の、「いろんな力」を使って妨害するんですよ…なんとモーリッツママもかわいい息子のために、積極的に妨害に加担します

そこで、羽ばたく機会を逃すイザークはこう思い至ります

「僕は君のおかげで、この世には、努力ではどうしようもないことがあるということを、知ることができた…」

すました顔で歩くモーリッツとすれ違いながら、その思いをかみしめるんです

このモーリッツ。ずるい手を使って人を蹴落として、あとでどうせ嫌な目に遭うんでしょ?って思うでしょう?そう願いますよね?私だけですか?

しかし…彼なりの悩みこそあれ、良い配偶者を得て、豊かな実家から引き継いだ事業は拡大発展、彼はずーっと豊かで幸せな日々を暮らすんですよ…

豊かな人はますます豊かになるよ。

そうじゃない人は?

もしかしたら幸せになるかもしれないけどどうだろ?
わかんないわ~

ストーリーがそう言っていました

この漫画を読んでいた当時十代の私は、「古今東西、この世はそういうルールでてきているのか…」とがっくりと肩を落としました

実家の太い人には、実家極細人間はどうがんばっても太刀打ちできない…

生まれた場所で、すでに勝負はついているというの?

「実家が太くない人」もまた、たくさん存在する現実

努力すれば報われる。そんな世界は理想ですよね。でも現実は残酷ですが違います

…私は生まれ変わらない限り、知らないことだらけなんだろうなぁ…

実家が裕福+努力ができる+家族からの愛情に恵まれている
 =自分のペースで豊かで発展的な人生を送ることができる人間

こんな人は世界には山ほどいて、その人達がひとたび力を出せば、例えば私のような、貧乏毒親育ち・負のスパイラルの渦中にいる者の努力など、到底足元にも及ばないのです‥

高校時代で出会った、たくさんの豊かな人たちの人生。

私がこの人生でどんなに逆立ちしても到達できません

でも。一方で。

「実家が太い」というワードが、SNS上に定期的に上がっては噴きあがるという事は、豊かで恵まれた人たちに打ちのめされる人が、この世にはたくさんいるという証なのではないでしょうか

私のように「ハンデが多く、がんばってもそれほど報われずにうなだれる人」がたくさん存在する、ということですね

SNSの発達ー苦しみの言語化や共有によって、見える未来が変わる?

生まれ育ちというものは、誰にも、決して選んだり変えることなどはできません

しかし、時代の変化、技術の進化で、「いつでもどこでも自分の意見を発信できて、情報を簡単に手に入れられる環境」を、誰しもが手に入れました。

これは革命的な大変化だと思います

この大変化により、これからは、私を含めたこの「太い実家」を持たざる者達、生まれ育ちに恵まれず辛酸をなめてきた人たちが情報を交換し合い、失敗談や成功談を共有することで、置かれた環境からより上に這い上がれる可能性というのは

高まったのではないでしょうか?

これを裏付けるものとして、私にまとわりつくテーマである毒親問題があります。

少し前だったら、親がおかしい、親が嫌い‥だなんて決して外にいう事もできず、相談することもできずに一人で苦しみを抱えるしかありませんでした。

しかし、今やSNSをはじめとしたツールで過去の出来事やいま考えていることを吐き出したり、同じ気持ちの人たちと共有したり、共感することが簡単にできるようになりました

私がかつて一人で「なんかモヤモヤする」と抱えていたことが明快に言語化してもらえることで、そして自らの思いを言語化してSNSに吐き出すことで、同じ悩みを共有し、一足先に苦しみから抜けた人たちからアドバイスをもらって実践し、苦しみから一歩一歩逃れられている実感があります

このツールの発達によって、同じ苦しみを持つ同士がつながり、情報を共有することで見える未来がちがってくるのじゃないか‥?

自分の悩みがひとつ解消に向かっている、という実感を得ているので、そんな淡い期待を持っているんです

まとめ

「生まれ育った家があれだから、私は今後、何をしてもだめなの?」

そう絶望していた10代の私に、「そんなことなかったよ!時代は変わったんだよ!」

そう胸を張って言える日が来ることを願いながら、私は今日もネット上をあちこち動き回っています

「実家が太くないと成功しないだって?そんなことなかったよ!」

この時代に生まれてきてよかったよね!」

いつの日か、極細家庭生まれ同士で、笑顔でお互いをそう讃え合える日が来るといいですよね…!

コメント

  1. ぬく より:

    ティーコさん、わかります。
    ティーコさんのお父さんは高卒だけれどもいい会社には勤めてみえるんですよね?
    そうだとすれば経済的には極細ということはないのでは?
    高卒大企業勤務は結構収入的には上の方だと思います。
    ただ、ティーコさんや(うちも)問題は、
    「父親の精神が労働者階級(一日の労働が終わったらテレビでスポーツを見たり酒飲むのが楽しみ)」
    で子供にも「奴隷化教育」をしてしまうこと。
    私が思う「奴隷化教育」とは2つあって、1つは、仕事=苦痛に耐えることだと教育すること。
    もう1つは親が子供に主体性を持たせず、奴隷のように自分に従わせようとすること。
    ティーコさんもそう思いますよね?
    恵まれた人は、夢や目標を持ってポジティブに前向きに自分を生かすために仕事をするものなのに、仕事=苦痛に耐えることと教育されている上に親の奴隷のように扱われていては、自分が何をしたいのかもわからないし、生きる力も沸いてこない。
    おまけに、仕事って、自分一人でやるものではなく他人との繋がりが重要ですよね?
    一人で苦痛に耐えることや親の奴隷になることばかり教育されていると、他人との繋がりで行う仕事で能力が発揮できないと思います。
    原因論が解決したら、次は目的論でお互い頑張りましょう。自分の年齢を20歳くらい若いと考えれば前途洋々です!

    • ティーコ ティーコ より:

      ぬく さま
      コメントをありがとうございます.
      わが父は時代に恵まれ、おっしゃる通り苦労なく良い会社に入りました。

      >そうだとすれば経済的には極細ということはないのでは?
      他の記事で言及しているのですが、わが毒祖父母、つまり父の両親はまったく働く気のない人たちで、父が独身時代から仕送りをし養っている状態でした。
      つまり父の一馬力で2家庭を支えていたものですから、私の家庭が経済的に恵まれていたと思えた事はありません。
      加えて父のドケチな性格により、日常生活でも経済DVと言って差し支えないほど、光熱費から学費まで、まるで乾いた布をしぼるがごとくの節約を強いられていました
      経済だけではなく精神的にも支えてもらえた感覚はなく、生まれ育った家庭は到底太いとは言い難かった。
      そんな毒親からの仕打ちを総合的に「極細」と表現した次第です。

      わが父からは「いかに労働とは辛く苦しいものなのか」ということばかりが伝わってきたのですが、
      自分がいざ働きだすと、(たとえブラック企業でも)やりがいはいくらでも見いだせて、
      そして人と協力すると1+1が3にも10にもなるという醍醐味を身を以て知るようになりました
      父はたとえ恵まれた環境で働いていても、それを何十年経っても知ることができなかった、ということなのですよね

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