「推し、燃ゆ」感想ー許しや肯定なき世界をサバイブする女子高生の物語

雑記

第164回芥川賞受賞作 宇佐見りん『推し、燃ゆ』を読みました

その感想を記していきたいと思います。

推しが炎上したシーンから始まる物語

タイトルを見た瞬間、思わずふふっと笑ってしまいました

推し燃ゆ。以前の大河ドラマのタイトル「花燃ゆ」と語呂を似せたのかな?

推しが燃えちゃってるのか…

大好きな有名人がSNSかどこかで炎上を起こしてしまった話?若い人が主人公の、現代を舞台にしたライトな小説?

そんな予想をしながら読み進めると…様々な生き辛い環境に取り巻かれながらも必死で毎日を生きる、一人の女子高生のことを、その苦しい息遣いが伝わるような、リアルな描写で表現されていました

普通のことが普通にできない

主人公はあかりという名の女子高生。恐らく日常生活をスムーズに行うことが困難になってしまうような、精神的な病を抱えています。病院でその診断名がつくシーンがありました

あかりは、現実世界で、16歳が「普通のこと」として求められることが、ことごとくできません

爪を切る事、伸びた無駄毛を処理することすら億劫で仕方がない。

自宅では外着から着替えずそのままリビングに転がる。部屋は汚部屋で足の踏み場がないくらいに片付けられない。学校で指示されたレポートの期日を忘れ、使用する教科書や体操着の用意ができない。

バイト先ではいつまでもスムーズに働けず、同僚や客にどやされるシーンが書かれています。

バイト先は居酒屋です。普通の職場以上に気働き、つまり”空気を読むこと”が求められる場所ですが、それができない。自分が理解不能な場面に遭遇する度にいちいちフリーズしてしまう。

家庭、学校、バイト先。現在生きている場所でうまくいられない。苦しい状況の描写が続きます

家庭ですら”居心地の良い場所”ではない

そんな日々を過ごすあかりには、現実世界で心安らぐ居場所もなく、肯定をくれたり受け止めてくれる人も誰一人いません

本来であるならば安心を得られる家庭も、彼女を優しく受け入れる場所ではありません

父、母、姉もみんな、自分の人生を日々運営することに必死です

親や姉という血のつながった人間ですら、家族の一員である最も年少の女の子に優しいまなざしを送ることはありません

心安らぐ場所も存在もない中、一人で生きる

あかりは学校ではできない問題児扱い、バイト先ではいつまでたってもちゃんと働くことができないバイト、家庭ではダメな子として扱われます。あかりの置かれた寒々しい環境の描写は、これでもかというほどに続きます

「あかり」という明るく温かいイメージのある名前とは対照的な薄暗く息苦しい日々。そのコントラストが際立ちます

もしもこれがおとぎ話だったら。ここで風変わりだけども自分をまるまると認めて理解して肯定してくれるトリッキーな存在とか、チートキャラに変身させてくれる魔法使いが登場するんですが、この物語ではそんな存在は全く登場する気配もありません

また、一昔前だったならば、大家族の中の祖父母や親戚、地域コミュニティなどの存在が身近にあり、例え実生活で何もできない人間であっても、そのありのままを全て肯定し、受け止めてもらえる場所があったのでしょう。

どんな人であっても、精神の安定が図れていた場所や存在がある時代が、かつてはありました

しかしながら現在の日本では、それらが普通に周りにあり、かつ十分に機能している環境にいられる人はごく限られています

私も核家族であり、転勤族の家に生まれ育ったので、そういった「無条件に自分を受け止めてくれる存在や場所」というものを知りません。かつてはそのような場所や存在が、人々を受け止め、肯定や癒しや許しを与えてくれる精神的セーフティネットとなっていたのかもしれませんね

あかりの唯一の光であり希望である「推し」

そんな苦しい環境で見つけたあかりの唯一の光こそが、”推し”ことアイドルグループ「まざま座」のメンバー上野真幸でした。

彼女にとっての唯一の心の支え、心のセーフティネットが、一人の男性アイドルという存在だったんです

推しを支え、自分も支えられる関係性

彼女がアイドルを推す姿を見ると、かっこいい!キャーという興奮や恋愛感情といった単純な心模様ではないんです。もっともっと重い。自分と推しとの境界がもはやないくらいに同一化しています。

力の限りを尽くして推しについて調べ上げ、発売されるグッズは好きも嫌いも関係なくすべて買いそろえ、コンサートや舞台は連日通い詰める。そして、推しが社会的成功を収める姿を見て喜びを感じるのです。

日本におけるアイドルビジネスの隆盛

日本国内において、アイドルに支出される金額というのは、大変大きなものなのだそうです

2020年に活動休止をした国民的アイドルの嵐。コンサートを開催するたびに、動員者数はトータル数十万人単位、「コンサートを開催する地域のホテルは、嵐ファンで埋まる」と話題になりました

「推し活」は今や、巨額の経済活動を発生させるまでに成長したひとつの立派な産業になっています

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国民的アイドル・嵐の活動休止がいよいよ近づいてきた。なぜ、決して野心的とは思えないこの5人が、歴代のそうそうたるグループをも追い抜き、伝説を築いたのか。どうしてもその理由が知りたくて、多数の嵐ファンたちに、嵐とは自分にとってどんな存在だった...

恐らく。あかりのように、自分の愛やエネルギーやお金を注ぎ続ける「推し」がいて、その存在に心の安心や精神的な支えをもらいながら、この「許しや肯定がどこにもない、冷たい社会」を生きる

そんな人が、現在の日本には本当にたくさん存在するからこそ、ここまでのアイドル産業の成長があったのではないでしょうか

推しに対しての別人のような能力の発揮の仕方

あかりは勉強やバイト、そして片付けなどの日常生活がうまくできないという描写がたくさんありました。しかし推しのこととなると、別人のようにその能力を発揮します

推しがデビューしてからの何十年もの間の情報を全てメモに書き留め、項目ごとにファイリング。どんな時にどんなことを言ったか?彼の好きなものは何か?すぐに取り出せるようにラベリングした膨大なファイルデータにしてあります

推しがインタビュートーク番組に出れば、何度も何度も録画を見返してその言動を全て書き起こします

自ら運営するファンブログの文面を見ると、彼の動向とそれに伴う自分の感想や意見をしっかりとまとめて文章化する力があることがわかります。

彼女が運営するブログやSNSには固定ファンが存在するほどであり、SNS にはたくさんの仲間がいて、ちょっとしたその界隈の有名人になっています

先ほど記した実生活での彼女とは大違いな在り方です

彼女は持っている能力を、現在生きている場所ではまったく発揮することができない。そのためリアルではどこにも居場所を得られず、どこでもだれにも認められることがなく、ますます推し活動に力が入るという側面もあるのでしょうか。

同じグループやアイドルを応援するという共通の目的を持つファン同士での交流の場というのは、彼女にとって、実生活では決して得られない、承認や肯定を得られる場でもあるんでしょうね

推しの炎上

そんな唯一見つけた光である推し活動を続けていたある日、推しが炎上しました。具体的には、彼がファンの女性を殴ったという大事件が起きます

そしてそこから、推しが芸能人として墜ちていく様が描かれていくのです。

炎上に対するあかりの態度

推しが転落していく様を目の当たりにしても、あかりは熱狂的なファンがするように、取り乱して泣きわめくことも、SNSで病んだ書き込みをすることもなく、冷静にその様子をとらえる描写が続きます

なぜ彼女は冷静なのか?

その答えがわかる、あかりの、推しに対する彼女の感情を表現する一説がありました

どんなときでも推しはかわいい。甘めな感じのフリルとかリボンとかピンク色とか、そういうものに対するかわいい、とは違う。

(略)守ってあげたくなる、切なくなるような「かわいい」は最強で、推しがこれから何をしてどうなっても消えることはないだろうと思う

宇佐見りん『推し、燃ゆ』

もはや愛とか恋とか嫉妬とか、そういう境地は超越しています。推しはかわいい。存在そのものを丸ごと大切に思っているから、彼女は乱されないしぶれない。

「生きたくもない場所で生きている」ことへの共感

実は、あかりと推しの境遇には、共通点があります。

彼らは「生きたくもない場所で生きている」のです。そんな彼との共通部分に、あかりは心の奥から強烈な共鳴をしたのかもしれません。

彼を応援や肯定することで、実は自分自身を必死で応援・肯定していたのかもしれませんね

あかりやファンの願いやより熱のこもった応援も虚しく、推しは女性ファンを殴ったという事実から逃れられません。その姿を、嫌でも飛び込んでくる SNS の情報によって目のあたりにし続けなければなりません

あかりが生きる上での「背骨」といってもいいくらいの重要度を占めていた推しの炎上。

これまでの推しを熱烈に応援していた楽しい日々が突然がらりと変わってしまった。これからあかりはどうやって生きていくのか?いや、背骨を奪われたあかりは、これから生きることができるのか?

これからのその道筋が、すこし見えるような終わり方で締められていました。

「コンビニ人間」との共通性ー求められる生き方ができない

この作品を読み、私は、2016年に芥川賞を受賞した「コンビニ人間」を思い出しました。

「コンビニ人間」に登場する主人公の女性・恵子もまた、あかりと同じように、「まわりから求められる普通」を、普通にできないのです。

彼女はコンビニバイトがとても自分に合っていて、なんと18年もコンビニバイトを続けています。

しかし、周りの人達に、その生き方をさんざん否定されるんです。

ずっとコンビニバイトなんておかしい。正社員になれ。彼氏を作れ。結婚しろ。

「お前は普通じゃないから、普通になれ」という圧力を様々な方向からかけられ続けます。

それでも恵子は、自分の生き方を貫きます。

一方で、あかりは現在いる場所のどこにも、自分をなじませることができず、否定ばかりを向けられています。その苦しさの中、アイドルを推すという行為によって自分の心に光をともすことで、その辛い日々を、なんとか生きているのです

彼女2人は、その時代や場所で、「あなたはこう生きなさい」と要求される生き方を、どうしてもすることができません。

彼女たちにとって、とりまく環境がとても辛く苦しい中、自分が居心地の良い場所、自分の心の安定を図る方法を見つけ、必死にしがみつきながら、日々を一生懸命生きているんです

感想

この物語を読んで終始私の心にあった気持ちは。

「あかりはいつかどこかで、人生を投げ出してしまうのじゃないだろうか?」という心配でした。

前後左右どこにも心の安心が得られず、推しで心に火をともしながら、日々孤独に歩き続けているあかり。いつも傷つき、血を吹き出しながら歩き続けているような痛々しさを感じます。

そして実は、彼女はたくさんの能力を持っているんですよね。自分の気持ちを文章化して表現する力、そして情報を整理収納、適切に取り出し使用する力。実生活で、ただその力を発揮できる場所がないだけなんです。

彼女のような人は、この世にたくさん存在するのではないでしょうか?

「能力があるのに上手く発揮する場所がない」、そんな人たちが、のびのびと持っている力を発揮できる場所がどこかにあれば、もっと身軽に生きられて、幸せな人が増えるんじゃないかと思うんですが…

現実はこうやって周りに否定され、居場所もなく、うなだれて絶望して生きる人が少なくないのだと思います。

だからこそ、そんな人間を見事に表現したこの作品は芥川賞を受賞し、数十万部を超えるベストセラーとして、たくさんの人々に支持されたのでしょう

芥川賞というのは純文学の新人に贈られる賞です。

この「推し、燃ゆ」という作品は、純文学という形式を使って、推しや生き辛さを持つ女子高生といった、令和時代の、どこにでもある現代の場面場面を容赦なく切り取り、それが持つポップ感とそこに隠れる重苦しさ、生々しさというものを、客観的に視覚化・文章化されていました。

この作品の熱量を持った表現力はものすごく、ぐいぐいと引き込まれ、一気に読み進めてしまいました

現在、私たちが生きる世界とその病理が、純文学の形を取り、勢いを持って表現されているこの作品、ぜひお手に取って、実際にその熱量を体感して頂きたいです。

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