毒親育ち

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毒親育ち

毒親からされたことをブログに書き続けたら、すっきりしてきた

私は毒親への復讐を目的として、ブログを開始しました。誰にも言えない過去の仕打ちを、すべて暴露してやる。でも、書くうちにすっきりしてきたんです。どうやら文章化して吐き出すことで、気持ちが整理されてきたようです
毒親育ち

毒親育ちが親との付き合いに限界を感じ、疎遠にするまで

毒親育ちが人生の危機を感じた時。娘の結婚という人生の転換点付近で、毒親は暴れ、私は疲れ、重度のうつ病となりました。しかしそれを機に親との疎遠を決意し、同時にこれまでの人生の振り返りと、自分の感情を大切にした生き方を模索を始めました
毒親育ち

力尽きて高校不登校になった毒親育ち。心の支えにしたのはスピリチュアル

毒親育ちが人生の危機を感じたとき、その2。高校受験に全力投球をした私は、高校入学後、燃え尽き症候群に陥り不登校になってしまいました。親をはじめ、理解や支援をしてくれる人は誰一人いませんでした。そこで私はスピリチュアルを心の支えにして乗り切ったんです
毒親育ち

もしかして私のうちの親は変?小学生、親のおかしさに気づいてしまう

私は、毒親育ちの身の上で「人生の危機」を感じたことが3回ありました。1つ目は小学生時代、自分の親がおかしい人間だと気づいてしまった時です。生まれた場所がひどいことに気づいた私が、そこをどうやって乗り越えて生きてきたのかを記します
生きやすさの獲得

家事の基本、丁寧な暮らし。素敵ライフスタイルyoutuberに教わっています

私の実家のキッチンは、一言でいえば「魔窟」でした。家事とは苦行。汚いキッチンにはいつも辛そうに家事をする母がいました。でも、ある素敵なライフスタイルyoutuberの動画から、私は少しずつ、家事との付き合い方や楽しみ方を教えてもらっているんです
毒親育ち

毒親が死んだ。そのとき、毒親育ちは何を思ったか

毒親と疎遠中に、父が余命宣告を受けて死にました。毒親育ちの私はその間も疎遠を続けました。昔も今も、そのことに後悔は一切ありません。父の余命宣告から現在に至るまでの、毒親育ちの私の心の動きを率直に綴りたいと思います
雑記

結局、「実家が太い人」が勝つの?ーひとりの「実家極細の毒親育ち」からの考察ー

SNS上で「実家が太い」というワードをよく目にします。実家に恵まれているという意味です。「結局、実家が太い人が勝つ」そういう文脈で語られていることが多いのですが、本当にそうなのでしょうか?私が実際に会った「実家が太い人」とのエピソードを交えつつ考察します
毒親育ち

子供が嫌い、を通り越して、子供が「辛い」

私は子供が辛いです。嫌い、を通り越して辛いです。こんな歪んだ気持ちを持つようになったのは、毒親の元に生まれ育ったことが大きく関係しています。「子供が辛い人間」が出来上がった過程を詳しく説明します
毒親育ち

毒親から受けた被害は、人と比べられるものではない

毒親からの被害は、バリエーション豊富です。毒親の数だけ、被害者である子供の数だけ、被害の種類があります。それは、決して比べることなどできません。毒親被害に遭った子供は、すべて被害者であるという一点において同じである。ということは言えますが…
毒親育ち

毒親育ちは、どう生きていけばいいの?

毒親育ちと普通親育ちの残酷なくらいの違いをこれまで書いてきました。それでは、毒親育ちには救われはないのでしょうか?この生まれながらにハンデばかりの人生をどう生きたらいいでしょうか?自らの体験から考察しました。
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