うつ病

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うつ病

流れてきたちょっと昔の流行歌を聞いて、“うつ病が再発したあの頃”のことを思い出した

スーパーのBGMで流れていた、10数年前のちょっと懐かしい曲。それを聞いて、当時のうつ病の症状が緩和し、「もう自分には明るい未来しかない」と信じ切っていた当時の自分のことを思い出しました。そうだとよかったのですが‥
毒親育ち

毒親に壊された脳や体を、少しでも癒し回復したい。やってみて有効だったこと

毒親からの長年の攻撃でボロボロになった心身が少しずつ回復し、前進ができるようになったとき、「私を強力にアシストしてくれた」ことを書いていきたいと思います。具体的には「動けないときは動かない」「規則正しい生活習慣は癒しを与えてくれる」ということです
毒親育ち

人付き合いを失敗した毒親育ち。その原因を探ってみる

私が人付き合いを失敗した理由を一言で言うと、「心に浮かんだ違和感を押し殺し、主張することなく我慢してしまった」ことでした。この積み重ねの果てに疲れ切ってしまったんです。違和感を殺す。これは毒親家庭でしみついた行動様式だったんですよね
毒親育ち

「うちの親は毒親ってほどじゃない」と思いこんでいた毒親育ち

毒親という言葉にはじめて出会った時。「なんてひどい言葉なの!」と強烈に拒否反応が出たんです。でも、親との関わりにだんだん限界を感じてしまった時、その言葉に再び触れて驚きました。「毒親体験談って、これ、全部自分の体験と同じ…」
うつ病

私の重度のうつ病が軽くなった・良くなった理由3つ

重度のうつ病と診断され、10年以上も治らなかった私のうつ病。最近症状がとても軽くなってきたんです。その理由は大きく3つ。一言で言うと、しなきゃならないという思い込みをはずして心の負担を下におろしたからと言えます。その経過を詳しく記事にしました
うつ病

私のうつ病が長期化・重度化してしまった理由

うつ病は適切な治療と休養で、早期に治る病気とされています。しかし、私は10年以上もうつ病を患っています。どうしてこうなってしまったかというと、「治るために焦って無理を重ね続けてしまったから」です。
毒親育ち

毒親育ちが親との付き合いに限界を感じ、疎遠にするまで

毒親育ちが人生の危機を感じた時。娘の結婚という人生の転換点付近で、毒親は暴れ、私は疲れ、重度のうつ病となりました。しかしそれを機に親との疎遠を決意し、同時にこれまでの人生の振り返りと、自分の感情を大切にした生き方を模索を始めました
毒親育ち

力尽きて高校不登校になった毒親育ち。心の支えにしたのはスピリチュアル

毒親育ちが人生の危機を感じたとき、その2。高校受験に全力投球をした私は、高校入学後、燃え尽き症候群に陥り不登校になってしまいました。親をはじめ、理解や支援をしてくれる人は誰一人いませんでした。そこで私はスピリチュアルを心の支えにして乗り切ったんです
新型コロナウイルス

心気症(病気不安)持ちが、コロナの不安に打ち勝った方法

私には幼い頃から、病気に対する大きな不安がありました。幼い頃、母から病気不安をぶつけられ続けた影響だと思います。日常生活を脅かすほどの病気不安と私の苦闘、そしてコロナ禍に遭った時にどのような心身反応があったのかを記していきます
雑記

子なしうつ病主婦、専業主婦であることを責められる

「専業主婦って家で一日何してるの?」「ずっと一人で暇でしょ?」「働けよ(笑)」専業主婦をしているとよく言われるワード達です。うつ病や毒親後遺症である強い疲労感などでやむを得ずの専業主婦なのですが、それをいちいち説明するのも疲れるので黙ってます
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