毒親が死んだ。そのとき、毒親育ちは何を思ったか

毒親育ち

少し前に、毒父が亡くなりました。

私は、父の病と余命がわかったときも、そして父が亡くなったときから現在に至るまでも、実家とは疎遠にしています

現在抱いている率直な気持ちは

  • 父の病気発覚後も、実家と疎遠を続けた後悔は、一切ない
  • 亡くなった後も、毒父への怒りは消えない

ということです

父の病発覚から亡くなるまでの経過と、それに伴う私の心身の動きを、記していきたいと思います

毒親との関係や、疎遠にすることについて悩んでいる方に、この一つの体験談がなにかのお役にたてたのならうれしいです

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父の余命宣告と、私の怒り

ある日、母から連絡がありました

その頃私は実家とは疎遠にしてしばらく経っていて、ようやく心身が安定していたので

「実家から連絡、嫌だなあ…また気持ち悪く絡んでくるのかなあ」と思いながらしぶしぶ通話ボタンを押しました

母はいつもおかしいのですが、いつもよりもずっと取り乱しています

そんな彼女の口から「お父さんが末期のがんで、余命2か月だと告知された」ということを聞きました

その話を聞いた瞬間、私は大変驚きました

ショックを受けたといってもいいかもしれません

これまで散々嫌なことをされ、自分から疎遠にしてきた毒父とはいえ、

昔から知っている人間が末期がんに冒され、近い将来の余命を宣告されたという事実には、さすがに衝撃を覚えました

確かその頃、ずっと楽しみにしていた本をやっと手に入れて、毎日楽しく読んでいましたが、父の余命宣告を聞いてからは、本を読んでも読んでもその内容が頭に入ってきませんでした。

そのくらいには、私は衝撃を受けていたようです

同時に、激しい怒りが湧いてきました。

その怒りは、病に侵された父に対してです。どんな怒りかというと

「いつもいつも私の人生を邪魔しやがって」

「今度はこの手を使って、私の人生を邪魔してくるのか」

というものでした

その当時、私は親と疎遠にし続けたのが心身によかったのか、重症と診断されたうつ病も寛解(症状が良くなってくること)状態に入り、

主治医から仕事をしてもよい、という許可を得るまでに回復していました

そして就職活動の後に仕事も決まり、働き始めたばかりのタイミングだったのです。

久しぶりの仕事は大変でしたが、毎日が充実していました

仕事ができるまでに自分が回復できたこと自体が喜びでした

その矢先の、父の余命宣告だったんです

  • どうして今なの?
  • あなたにぐちゃぐちゃにされた人生を、必死に立て直して、やっとここまでこれたのに
  • その大切なタイミングに、どうしてこんな手を使って邪魔するの?

怒りはふきだし、収まりませんでした

仕事中は仕事に没頭するので、父のことを考えずに済みます

しかし、車で帰宅中の渋滞の中で、ぼーっと一人で車に乗っていると、さまざまな思いがこみ上げます。ここでもこみあげるのは主に怒りです

私は毎日、涙を流しながら車の中で叫びました

「私はこれ以上、お前に人生の妨害はされない!」

「お前のこんな妨害に負けるか!私は私の人生を大切にする!」

父の余命宣告が、まるで毒親から自分の人生を取り戻す苦闘を続ける、私への宣戦布告を突き付けられたように感じたんです

いつも毒親は、さまざまな手を使って、私が前へ進むことを邪魔をしてくるけれども、こんどはこの手か。

父に寄り添いたい、という気持ちはわいてこなかった

父の余命がわかっても、私は父に寄り添いたい!できるだけ一緒に時間を過ごしたい!という気持ちは少しも湧いてきませんでした

私はその後も毎日仕事に向かい、自分の人生の立て直しを優先していました

「父が余命宣告されても、特に寄り添いたいと思えない」

この考え方は、あまり周りには理解されないだろうな…とわかりながらも、当時少し仲良くしていた同世代の女性にちらっと打ち明けました

彼女は目を丸くして驚き、

「あなた一体何やってんの!早くお父さんのところに行ってあげなよ!仕事なんてしている場合じゃないでしょう?」

会うたびに彼女に怒られました

なんども怒られるので、ある日私は彼女に尋ねました。

「ねえ、ところであなたのお父さんって、どんな人なの?」

彼女は答えました「私の父は、人格者で尊敬できる人。」

「昔から、私が困ったときにはお父さんがいつも私を導いてくれた。お父さんにはもう、感謝しかないんだよね

なるほど!と理解しました

そういう素晴らしいお父さんなら、お父さんに何かあれば、きっと何を置いてもお父さんの元に駆けつけるのでしょうね

しかし残念ながら私は違いました

私の父は、私を破壊する人間でした。現在進行形で彼は無意識に、私を破壊にかかっています

彼にその気はなくとも、私は実際に心身を壊され続け、今も後遺症に苦しみながら生きています

女性というのは、ある程度仲良くなると、自分と相手の境界線があいまいになるほど”溶け合う”くらいに距離感が近くなることがありますね

わたしもかつて、その心地よさを経験したことがあるのでよくわかります

彼女もきっと、私へ親しみを感じてくれていて、まるで自分のことように、私のことを考えてくれたのでしょうね

しかし。彼女と私が置かれてきた家庭環境は泣けるほどの差があります。決して同一には語れません

彼女のお説教は大変ありがたいのですが、気持ちだけを受け取り、ここは聞き流すのがいいな、と悟りました

周りに理解されない辛さは子供の頃から嫌というほど経験しています。だれかに理解されたいという思いが湧くことはありません。そんなことは、すでに諦めていました

重い腰を上げて、父に会いに行った

余命宣告された時期が近づき、さすがに考えました。

一回くらい会っとくか…

これは、決して父に会いたいからではありません。できれば会いたくありません

すべては自分のためです

後の自分が後悔しないように、後の自分のために会ったという事実を残すため、それだけです

気持ちは重かったのですが、思い切って日帰りで帰省することにしました

久しぶりに会った父は、やせて別人のようになっていました

「いつもお菓子を食べていて太ってたからわからなかったけど、やせると祖父や叔父に似てるね」と言ったことを覚えています

会って世間話を少ししたくらいで、早々に帰宅しました。これで、私が今、父にできることはすべてやった。私はがんばった。そう思えました

その後まもなく、母から長文のメールが届きました

「ティーコちゃんが来てくれたおかげで、お父さん本当にうれしそうで、元気がでたみたい。

こんなに楽しそうで元気があるお父さんを見たのは久しぶりで、お母さんは、うれしくてうれしくて、つい一人で泣いてしまいました。

お母さんね、この頃、心が弱って辛くて辛くて眠れないんです。

でも、お母さんがこんなんじゃだめね。

これからも、たくさん、お父さんのために、お父さんにあいにきてあげてください。お母さんから、心から心から、お願いいたします」

彼女の綴る、ねっとりとした独特な文体が、まるで呪いの文章のように感じられます

字が蛇のように私に絡みついてくるようです

母に心身を侵食され、まとわりつかれていた嫌な過去を思い出させます

「余命宣告を受けた父が、あなたと会いたがってるんだから、会いに来なさい!」

私の罪悪感に訴え、心理的に脅しをかけて、自分の方に注目を向けようとしてる

母の使う、いつもの手口だと感じました

そう考えた私は歪んでると思われる方も少なくないのでしょう

しかし、私がこれまで彼らにされてきたことを思うと、私にはそうとしか受け取れませんでした

私は、やれることはやった。だからもういいんだ

母からのメールは無視することにして、私は翌日から仕事に向かい、努めて平常に過ごすようにしました

父が亡くなった

それから間もなく、父が亡くなったという報せが届きました

駆けつけると、父に溺愛されてきた妹とその夫が、葬儀の一切を取り仕切っていて、

私の入るすき間はないくらいでした

そういえば、亡くなる少し前に父からのメールに

「妹と妹の夫君たちには、いつも本当によくしてもらっている。彼らには本当に感謝している」

と書かれていたことを思い出しました

おそらくあのメールには、

「何もしてくれないお前と違ってな!」

という、私に対する嫌味も含まれていたと思われます

妹が結婚する前、父はその結婚に猛反対していました

「かわいい次女ちゃんがあんなクソフリーターと結婚なんて許さない!お前、姉なんだから、もっといい結婚相手を見つけてこい!

私にそう怒鳴りつけていた、かつての父の姿が思い起こされました

あんなにクソ呼ばわりしていた妹の夫にちゃっかり世話になってたのか

あんたの心の変化早すぎないか?ついていけないわ…

メールを読んで、怒り狂う父とその私への突飛な要求などの、おかしな言動に驚き呆れたことを、ぼんやりと思い出していました

母は泣き叫びながら、「お父さんとってもがんばったの!とてもすばらしいお父さんだったの!」と、弔問に訪れる人達に次々と取りすがっていました

弔問客たちはみんな、母を優しく労っていました(まあ、嫌でもそうするしかないですよね…)

私は雑用をしながら、葬儀の様子、特に母と妹の様子を横目で見ながら、様々なことを考えていました

へえ…あれだけ父に溺愛されて、その上立派な反抗期を迎えて父に猛烈に反抗してた妹が、こんなに「献身的な娘」に変貌してる。

「私はお父さんには頭が上がりませんでした」、だって?そんな言葉があなたから出てくるんだ。

私はただの一度も、父に対してそんな気持ちになったことがない

愛情と反抗期という私に無縁だったものを父からたくさんもらって、たくさん許されていたあなたは、私の知らないうちに、こんなに「立派な人間」になれたんだね

あなたが十代の頃、連日の夜遊びで家に帰らず、親への激しい反抗をしていたあの時代。私はあなたの世話を強制的にさせられてた頃。その頃のあなたとはまるで別人で、私理解が追い付かない

お母さんもさ、お父さんの愚痴と悪口、いっつも私に浴びせかけるように言い聞かせてたよね。いざ死んだら「お父さんは素晴らしい」んだ。神格化なんだ。へー。その振れ幅すごいね。まったく理解できない

正直、悲しい未亡人を装ってるようにしか私には見えないよ。そのスタンスって、嫌でもみんなの注目浴びられるよね

そこには、私の知らない母と妹がいました。

本当の姿を隠し、「失った夫を嘆く未亡人と、父を亡くした哀れで健気な娘」を演じた劇を、目の前で見せられているような、奇妙な感覚でした

二人とも、死んだ父をあんなに罵ってたくせに。あんなに嫌い合ってたくせに

母と目が合いました

「ティーコちゃん!お父さん死んじゃったの!死んじゃったのぉー!」

そう泣き叫びながらこちらに突進してきます。涙でぐじゃぐじゃな顔で、母は私に抱きついてきました

私は「…そうだね」と答えて、少しずつ、静かに彼女の手を振りほどき、体を離しました

私は彼女を受け止める気持ちがどこにもなかった。すがってくる姿を、触られることすら、気持ち悪いと思ってしまった

彼らは涙を拭いながら葬儀を執り行っていました。私はその間、涙の一滴もこぼれませんでした。悲しみもありませんでした

「亡くなってから四十九日の間は、お父さんの霊魂はこの世にとどまるんだよ、家族の近くにいるんだよ。」

弔問に来てくれた父の知人が言っていました

私は四十九日が過ぎるまで、夜中のトイレに行くときは、暗闇に向かって「絶対目の前に出てくるなよ!とっととあの世に行け!」目に見えない何かに啖呵を切りながら廊下を歩きました

もう父の化けた姿すら、目にしたくもありませんでした

不可解な相続

その後落ち着いてから、相続の話を切り出されました。

妹からです

「お母さんが取り乱していてかわいそうなので、
お父さんの財産はすべてお母さんに相続するようにしていい?」

「もう早く決めないと、時間がないんだ。」

「お母さんのことを思うと、お姉ちゃんもそれでいいよね?」

彼女の口からは、このような理屈が次々提示されました

相続の法律を調べると、夫が亡くなった場合、妻が半分、子が半分をそれぞれ相続となっています

しかしこの家では、”かわいそうなお母さんが全てを相続”するのだそうです。

法律よりも、感情を優先した判断がなされる世界。

とにかく時間がないというので、わたしも、父の死後も引き続き疎遠を続け、煩雑な手続きを妹にさせているという負い目もあり、彼女の意見に承諾してしまいました

この軽率な判断が後で長い怒りを生むことに、当時は気づきませんでした

父の遺産はこうして、正当な遺産分割の一切がないまま、すべてが母のものとなりました

遺産の行方

その後、父の遺産はどうなったと思いますか?…

妹一家の生活費全般や、彼女たちが車などの高額商品を購入する費用に使われているんです

父の死後、それまで家に寄り付かずに好き勝手していた妹は、母に異常に密接に近づくようになり、ほぼ衣食住を共にし始めました

母とべったりくっつき、何をするにも、母から多額の金銭的援助を受けています

父の死後、新車や家電などの高額商品を次々に購入し、ろくに働いてもないのに毎日家でゆったりと暮らしているのがそのいい証拠です

父に溺愛されてきた妹はどんな人間か

妹は学校を卒業後、定職に就くこともなく遊び続け、似たような遊び好きのフリーターと結婚して子供を産みました

以前、妹について作成したブログ記事があります

彼女は親にかわいいかわいいと溺愛されて育ってきました

そんな中成長した妹はいったいどうなったか。

未亡人となったかわいそうな母親を近くで見守るというきれいな理由を使い、自分の生活費や娯楽費、育児費まで、すべての出費を、母経由でダラダラと流れてくる父の遺産で賄うという技を平気で使いこなす大人になりました

父と不仲だったとはいえ、夫を失って孤独が増した母の依存的な性格を利用してつけこみ、母がすべて相続した父の遺産で、自分達の衣食住やぜいたく品代を支払わせているのです

幼い頃から、親からの愛情を独占して自信たっぷりに育った人間は、このような悪知恵が働くようになるのですね

妹とは対照的に、親からの暴力や暴言にまみれて育った私はこんな知恵、さっぱり生まれませんでした

妹の小賢しい頭脳戦の勝利としか思えません

「うちの子供はなんでも平等」

両親は、私が小さかった頃からよく、「うちの子供たちはいつでも平等に扱う」と言っていました

しかし、現実はこうです

片一方(私)は幼い頃から暴力で従わせて心身をボロボロにして、

役に立たなくなると存在をなかったことにする。

何の援助もしない

もう一方(妹)は溺愛して無職で遊ばせ、

遺産を湯水のように使わせる

一体どこがどう平等なのか

平等の意味わかってんのか。

言葉の勉強から始めろ。

あ?ひとりは死んだから無理か?

死に逃げしてんじゃねえよ!

彼らのことを少し考えただけで、このように怒りが煮えたぎります

醜く欲深い本性、丸見えですよ?

父の死後、私は彼女たちとは物理的にも、心の距離も、ますます広がりました

彼女たちは昔から、いつも私をバカにし、利用しました。

幼い私を、父からの暴力の盾に使いました

これまでも、私をいいように利用してきた母と妹は、可愛そうな未亡人・かわいそうな母を支える健気な娘という己を正当化する”きれいな理由”武装して、父の遺産を受ける権利を私から奪い取り、独占して好きに使い続けて、平気でいるのです

自分達の欲望を正当化するためにはどんな手段でも使う。

彼女たちの、そんな自己中であさましく醜い本性は、私からははっきりと見えています。なのに、彼女たちはそれには気づかず、相変わらずかわいそうな人・健気な人の演技を続け、それにひたすら酔いしれています。それで許されると思っています。隠せてると思っているのでしょうか?

バカすぎて言葉を失います

父の死からしばらく経った今。変わったこと、変わらなかったこと

父が亡くなってから、時が経過しました

私に心境の変化は訪れたのか?というと、変わった部分と変わらない部分があります

変わった部分とは、このように父の死を冷静に文章化(コンテンツ化)できるまでに、自分の中で記憶を消化したことです

「昔こんなことあったな」と他人事のように落ち着いて振り返ることができるようになりました

変わらない部分は3つあります

  • 父への怒り
  • 母と妹への怒り
  • 自分が決断し、したことへの後悔が、一切湧いてこないこと

これらは当時と比べて一切変わっていません

父への怒り

長年にわたる、父からの仕打ちによる心身の後遺症により、未だにこびりつく生き辛さで苦しんでいます

私にこのような、様々な深い傷をつけた張本人である父を、たとえ死んでも、決して許すことができません

何なら、「父が死ぬ前に、私の気が済むまでもっと仕返ししてやればよかった」そんな悔しさが未だにこみあげてきます

母と妹への怒り

母と妹は今も、父の遺産を独占してのうのうと生きています

先日、断捨離と称して、私が実家に残していたすこしの私物をすべて捨てた、という連絡が入りました。わずかに残った私の痕跡すらすべて消して、彼女たちだけの世界で生きているようです。

断捨離という名の私のもののごみ扱い、すべてを捨てて消す行為。奴らのきれいな言葉で己の欲望を包んで隠し、正当化するその姿は相変わらずです

私は奴らの所業を目の当たりにするだけで、いえ、少しでも頭に浮かぶだけでも、血が煮えたぎるような怒りを感じます。奴らのために自分の大切なエネルギーを消耗するようなばかなことはしたくはないので、極力考えないようにはしていますが…

事実として、あんなのが自分の血を分けた母であり姉妹である。現在進行形で私をいらつかせ、私から搾取をつづけるいまいまいしい存在が、人類で最も血が近い存在である。ほんとうに目をそむけたくなる事実です

遺産はどうなった?

葬儀が終わって数年後、落ち着いた頃に、不可解な父の遺産管理のことについて、一度妹に尋ねたことがありました

そうすると妹からは、このようなしらじらしい答えが返ってきました

  • お父さんの遺産は、お母さんの名義で統一したままです
  • すべてお母さんが管理していますが、何か問題でもありますか?

まるで、探る私があさましいとでも言いたげな返答でした

一方、母は遺産管理について、これまで私に何の説明もありません

妹に金を垂れ流し続けていること、私には父の遺産を一銭も渡す気がないこと。それが彼女にとっては、改めて説明をするまでもなく当然であることのようです

貧乏人ほど、少ない遺産を巡って争う

この遺産についての判断は、考えが浅かった当時の私のミスでもありますが、金が絡むと、このように人の醜さがむきだしになること、悪びれる様子もなく、しれっと自己正当化に走る様…

私は怒りと共に、この目でしっかり確認しました

遺産相続の局面では、お金持ちよりも、わずかな遺産しかない庶民のほうが、争いが起きることが多いそうです

貧乏な人間ほど、本性をむきだしにして、あさましく金を奪い合う。我が実家も立派な貧乏家庭です。相続は争族である、という表現はこのようなことを表しているのですね

相続は争族、このことを身を以て、怒りを煮えたぎらせながら、本当によく理解しました

自分が決断し、したことへの後悔が、一切湧いてこない

一方で、私が父の余命宣告を聞いた当時、父に寄り添うことをせず、自分の人生を優先したことに対しては、今も後悔が一切ありません

もしもあの時。昔のように親ファーストで、自分の心を殺して、父に寄り添っていたとしたら、私は「また親に、私の人生を奪われた」と悔やんでいたと思います

病に倒れた父よりも自分を優先したこと。あれでよかったのだ、あの時のあの判断は、親ファーストから脱却して、自分を大切にすることができた大切な出発地点だった、とすら思えるんです

されたことしか、できませんでした

高校生時代、不登校だった私と父の関わり

私が高校生の時のことです。不登校になり、苦しい日々を過ごしていたことがありました

毎日思うように登校することが出来ず、「なにもできない。なにもしたくない。私はもう死んだほうがいいのではないか」と自分を責めていました

そんなとき、父から手紙を渡されたんです。手紙はどんな内容だったと思いますか?

  • 俺はこれまで、どのように辛く苦しい人生を送ってきたか
  • それに比べて、お前はどんなに恵まれていて、甘ったれているか

そんなことが、長文で延々と書かれていました

父は一通の手紙では書ききれないらしく、”不幸で大変だった俺の話””めっちゃがんばってる俺の話”だけが延々と書かれた手紙を、毎日渡されました

それだけではありません。本を一緒に渡してくるんです。どんな本かというと、いつも、壮絶な不幸に襲われた人の自伝でした

俺の苦労と、この本の人の苦労に比べれば、お前の苦しみなど苦しみでもなんでもないだろう!

甘ったれるな!

父からは常に、そう責められているように感じました

手紙の感想を強要する毒父

私は押し付けられる手紙と本で父からの意図を読み取り、呼吸が苦しくなり、体はますます動かなくなりました

しかし父は得意満面の顔で私の部屋へずかずかと入り、寝込む私を見下ろして、「俺の書いた手紙を読んだか。感想を言え」と尋ねるのです

私は力を振り絞り、「お父さんはすごいね。私なんかより、ずっと辛くて苦しかったんだね。」

そう答えると、「そうだろう、俺は苦労してここまで生きてきたんだ。」父はそう言いながら、満足そうな顔をして部屋を去りました

私は、押し付けられた本を、厳重に梱包して捨てました(そのまま捨てたことを父に知られれば、私は父に殺されます)

押し付けられた手紙は机の奥に押し込み、大掃除の時にごみとして一気に捨てました。父からの手紙と本を目にするだけで、自分が責められているように感じて辛さが増したからです

この人には、何を言っても理解しあえない

父に反論する気持ちはありませんでした

不登校で消耗し、反撃する力がなかったこともありますが、何より、私が苦しんでいるとき、寄り添うどころか「俺の方が大変だった。俺をほめたたえろ」と同情と称賛を強要する父に対し、私が何を言ったところでこの人は何もわかるわけはない。

そんなあきらめの気持ちが勝ったのです

同じことをされなかっただけでも、ありがたいと思え

私が子供の頃、最も辛い思いをしていた時。父は、私の苦しみに寄り添うことは、ただの一度もなかった

それどころか「お前は甘ったれている」と断罪した。「お前なんかよりもっと辛い人がいる」と知らない誰かと比べて私を非難した。「お前なんかより俺の方がよっぽどえらくてがんばっている」とクソみたいなマウンティングをかました。

人は、されたことしか、返すことができません

だから、父が余命宣告をされるほどの重病だろうと何だろうと、かつて私が人生でもっとも辛いとき、寄り添うどころか非難と否定の言動をぶつけ続け、私をますます絶望と混乱に突き落とした父には、「寄り添いたい」という気持ちなど、悲しいくらいに全く湧いてこなかったんです

むしろ私から、

  • お前の病なんてまだ甘い
  • 私なんて子供の頃、死にたいくらい辛いときに、実の父親に追いつめられてより一層苦しみが増したのだ
  • 私の方がお前より辛かった
  • どうだ、私はがんばっただろう!お前よりえらいだろう!

そんな手紙を押し付けられなかっただけでもありがたいと思え。そう思います

ひどい仕打ちを受けたのに、彼があの世に行くまで一切の報復もせずに見送ってあげた。

私はなんと優しい娘なのでしょうか

率直な今の思い

以上が、毒父が余命宣告を受けて死んだときからその後、そして現在に至るまでの私の心の動きの記録でした

父が病に倒れても、自分の気持ちを大切にし、自分ファーストを心がけて動いたことに、今も一切の後悔はありません

そして母と妹の自己中が極まる性質、彼らの持つ異常性に怒りがわき、ますます疎遠になったこともまた、必然であったと思っています

理解不能な奴らを観察し、ブログのネタにしています

死んでいなくなった父はこれから私に害を及ぼす可能性はなくなりました。

問題は欲望丸出しで、遺産を独占し、のうのうと生き続ける母と妹です。奴らのことは精神衛生上、極力考えないようにしていますが、怒りは確実に、私の中にふつふつとたぎっています。これを一体どう処理するか。私の今後の課題です

私が彼女たちにこのような思いを抱いていることは、折に触れ伝えてきましたが、全く理解できていないようです

母は最近、私と仲良し親子をしたいらしく「ティーコちゃん、わたしのところに遊びにきて!一緒にお出かけしましょう!」と電話やメールで頻繁に催促してきます。

なんと厚かましいのでしょう。今さらあんたと仲良し親子なんてできるわけないだろう。そんなこともわからないのか。

彼女たちのことは、どこまでいっても理解することが出来ません。彼女たちと私は、現実として、血がつながりこそ一番濃いのです。しかし、このわかりあえなさ、人類で最も遠い存在のように感じます。血って何なんでしょうね?

彼女たちの言動や考え方が全く理解できないので、私はこのように観察してブログのネタにしています

ブログに文章としてまとめ、吐き出すことで、腹の中で煮えたぎる怒りも、なんとなく落ち着くような気がしますので、恐らく猛毒親と馬鹿妹に対する怒りの解毒方法としては、文章化して吐き出すというのは、私にはあっている方法なのかもしれません

以上が、父亡き後の、私をとりまく現状でした。もし何か奴らの動きや考えに変化が起きた時は、またブログにしてアップしていきたいと考えています

私の体験談が、悩んでいる方の、考え方などのなにか一助となれば幸いです

コメント

  1. より:

    私も碌でもない親に辟易して、18で家に出てから一人で生きてきました。

    好き勝手やってまともに親の役目も果たしてなかった癖に、最近、死にそうだから全てを許して欲しい会いたいと連絡来ました。

    会う気もなかったのですが周りが煩く、事情も知らず怒鳴られる始末。

    精神的に参ってきて色々検索していた時にあなたのブログに行き着きました。

    私の考えはあなたと凄く良く似ていて理解することができました。

    私は会うことはしない事に気持ちを固めました。
    やはり、自分の好き勝手生きて、親としての責務も果さず、子としての義務を強要するのは間違っている。
    死に目にも誰も来てくれない、惨めた、こんな人間にならならないようにと、
    他の人の糧になればいいと思います。
    誰の言うことにも耳を傾けることなく好き勝手やっていきてきたのだもの。最後くらい後悔して死んでいって欲しいです。あー私の人生良い人生だったなんで絶対に思わせたくない。

    もう、平穏な生活を一々乱すようなことが無くなるとなると清々します。

    ありがとうございました。

    • teakocoffee より:

      銀 さま

      はじめまして。私のブログをお読みくださり、コメントいただきありがとうございます
      共感をいただき、うれしいです

      銀さんも、「親の最期」という場面に突き当たっていらっしゃるのですね。
      親の状態、そして周りからのたくさんの”アドバイス”によってそのお気持ちをかき乱される状態、よくわかります
      好きで、こんな態度で親の最期に向き合っているのでなく、親子関係の延長上の結果であるのに周りは理解してくれる人は本当に少なく、辛いですよね

      これまでがんばってこられた銀さんの心が平安でいられる選択、大切だと思います
      同じ経験をした人間として、どうか今の平穏なお暮しが末永く続きますように…と願わずにいられません
      コメントありがとうございました

  2. になみき より:

    毒親が死ぬと、呪いは解けるんだろうかという疑問があり、こちらに辿り着きました。
    死んでも残るのですね…きっと、生きてるうちに心から反省して謝り倒してくれたら、いやそれでも、少しだけ印象が変わるという程度で、私の親に対する無表情は変わらないだろうと思いました。
    「自分が決断し、したことへの後悔が、一切湧いてこない」というのは、毒親の支配下に置かれていた自分にもよくわかりました。
    私には実家に弟がいますが、何年も無職で、親にパラサイトしています。弟との関係は悪くありませんが、学歴もかなり低く仕事もしていないので価値観が大きく違います。親が死ねば金銭の諍いが起きるだろうと覚悟しています。
    正しい方向へ向かおうとする私たちは真っ直ぐだと思います。親に対する感情だけです、歪んでいるのは。
    同じ境遇の人からしか理解は得られませんが、親に会わない今の環境は、とても健康的でしあわせな人生だと感じています。
    ありがとうございました。

    • teakocoffee より:

      になみき さま
      こんにちは。記事を読んでいただき、そしてコメントをありがとうございます。

      親の死への臨み方や気持ちは人それぞれ千差万別かと思いますが、私の場合は、おっしゃる通り、毒父の呪いは死んでもさっぱりきれいに消えることはありませんでした。
      刻々と時は流れていますが、父との別れへの悲しみは未だに少しも湧かず、逆に「もう少し、自分のために父にスカッと仕返しできなかったかな…」なんて思うこともあります

      になみきさんにもご実家に弟さんがいらっしゃるのですね。価値観が大きく違っていらっしゃるとのことで、万が一のときのことはいろいろ考えてしまいますよね。

      それでも、になみきさんの今現在はお健やかにお幸せにお暮しとのこと。それはなによりすばらしいことだと思います。
      周りの人に理解されない辛さや、過去に遭ってしまったネガティブな出来事こそ消えませんが、今現在、つかみとったこの穏やかで幸せな日々というのはお互い大切にしたいですね。
      ありがとうございました。

  3. 菊加(きくか) より:

    約20年前、毒父(←私は人格障害を疑っている)は全財産を持って家を出て行った。別居しても散々傷つけられた。

    「毒父とはいえもう86歳で高齢。産んでくれた感謝だけは伝えた方が良いのでは・・・」

    歩み寄ろうと決意した数年前、毒父に電話をしたが異常な性格は一切変わらなかった。心底、悲しかった。心の中で静かに縁を切った。

    そんな毒父から今日、「家族みんなで食事がしたい」と実家に電話があったそうだ。

    「菊加は行かないの?」
    毒母からLINEで聞かれた。

    「じゃあ、行こうかな・・・」
    送信前に手を止めて冷静になった。また私は親のために生きるのか・・・?文字を削除した。

    「行かない。」

    毒母に返信した。

    毒父が死ぬ時も会うつもりはない。私のこの選択は後悔するのだろうか。

    ネット検索したらこの記事と出会えた。自分ファーストの選択をしなかったら後悔していたとの言葉が力強く私の背中を押してくれた。私も自分ファーストの第一歩を踏めたんだ、そんな自信が持てた。

    ティーコさんの想いが痛いほど分かる。我が毒母も散々毒父の悪口を私に浴びせて来たが、自分の気分ひとつで態度を翻す。この嫌悪感は経験者でないと分からない。

    ティーコさん、私の心を救って下さり、誠にありがとうございます。感謝の想いでいっぱいです。これからは毒親の接待はやめて自分ファーストの人生を歩みます!

    • teakocoffee より:

      菊加さま
      こんにちは。このブログをお読みくださりありがとうございます。
      おっしゃること、よくわかります…こちらが必死に歩み寄っても、親は何歳になっても全く変わらないんですよね
      それどころか、加齢からくる頑なさやわがままがプラスされていたりして…

      私のこの親の死に対する行動や思いをつづった実体験が、菊加さんのお役に立てることがあってとてもうれしいです。
      父が他界して何年もの月日が流れましたが、未だに自分が決断して行動したことに対しては、一切の後悔がありません
      逆にあれが、自分の人生を取り戻すスタートだったなぁという思いだけです
      かけがえなく一度きりのこの人生、自分ファーストで歩んでいきたいですね

  4. 禊萩 より:

    16の時に虐待で毒親から逃れ、里親さんの元でお世話になっている高校生です。
    先日、離縁した母(毒親ではない)が亡くなっていたことを書類上で知り、何も教えてくれなかった父と義母に対する怒りが収まらないため、記事を読ませていただきました。母とは幼い頃に別れ、顔も名前も知らなかったので、いつか会いに行ける日を夢に見ていました。亡くなった、ではなく、既に亡くなっていたことを父の口からではなく書類で知ってしまったことに、悲しみよりも怒りが湧き上がってきます。

    小学4年生の頃、父と義母の虐待に耐えきれず寝込みを襲って殺そうとしたこともありました。その時と同じか、それ以上の憎悪と、気持ち悪さでいっぱいです。

    でも、記事を読んで、「後悔しなくていいんだ」「親だからと無理に我慢しなくていいんだ」と思えるようになりました。「いっそ私も話のネタにしてやろう!笑」と、笑いすら込み上げてきました笑
    ありがとうございます。なんか、頑張れる気がします。
    あんな奴らのために、人生を棒に振らなくてよかった。
    長々と失礼しました。

    • teakocoffee より:

      禊萩さま
      コメントありがとうございます。
      とてもお辛い体験をなさってきたのですね…お話ししてくださりありがとうございます。

      私のクソ親話が、禊萩さんに少しでもお役に立てたのなら、こんなにうれしいことはありません!
      親に対する大きな怒りと憎悪を、ネタに変換して利用して昇華するって案外いい方法のような気がします
      私も彼らの悪行をネタとして利用するうちに、少しずつ体内から毒出しできているような実感がありますよ
      これからもネタとして利用しつつブログを書いていきますので、よかったら見に来てくださいね。

  5. ココ より:

    心情が理解できすぎて、息ができないくらい共感しながら読みました。

    文章を書いて気持ちを整理も、とても理解出来ました。

    感謝です。

    • teakocoffee より:

      ココさま
      ブログをお読みいただき、共感をいただきうれしいです。
      こちらこそ、ありがとうございます!
      私のこの経験を文章にした記事が、ココさまのなにかお役に立てましたらほんとうにうれしいことです

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