前回の記事の続きです
運悪く就職氷河期に仕事を探さなければならなかった私に対し、毒親たちは、親としての手厚いサポートどころか‥背後から容赦なく攻撃をしつづけて、私をますます消耗させてきやがりました‥
後半にあたるこの記事では、
- 就職氷河期にあってもしっかりとした職につけた人たちの特徴
- 毒親の様々な妨害に遭いながらも、何とか(ブラック企業に)就職が決まった私
- 就職氷河期・ブラック企業・毒親に痛めつけられた人間(私)が行きついた末路は?
これらの記録を残していきたいと思います
氷河期でしっかりした職に就けたのは、「ちゃんとした親」からサポートを受けられた人たちが多かった
私の周りの同世代で、おなじく就職氷河期の憂き目にあいながらも、公務員や士業などの立派な肩書を持って働けている人というのは、親の理解があり、その親から適切なサポートをしっかりともらえた人たちばかりでした。
たとえば‥
このように、社会情勢をしっかり見極めることのできる親御さんから、柔軟な生き方をさせてもらえた人が、りっぱな職に就いていたものでした
それから、これは実も蓋もない話ですが、子を就職浪人やダブルスクールをさせられるような裕福なお宅の人ばかりでしたね‥
わが家のように「早く働け!」「甘えるな!自力でやれバカ野郎!」などとアホ親から責任やプレッシャーなどをすべてを押し付けられた結果、いいところに就職できて大成功!という人は見たことがありません
たとえ公務員などのがっちりした職じゃなくとも、氷河期にあってもしっかりとした会社に就職できた人の親御さんというのは、子にたった一人でがんばらせるようなタイプは少なく、親御さん自らも一生懸命いろんな人に声をかけて回ったり、情報収集したりと、親子一緒に東奔西走しているタイプが多かったように記憶しています
私がかつて見てきた、氷河期という大変な時期でも、しっかりとした仕事につくことができた人の特徴をまとめると‥
- 子供に対してお金や時間や手間をかけることができる親に恵まれた
- 就職が困難な時代だということを知り、その時代に即した柔軟な考えができる親に、心身共に大きなバックアップを受けることができた
- 子供自身が、親の支援や応援にしっかりと応えることのできる力があった
何というか‥どうしても、困難な時代にちゃんと職を得られるのは理解のある親ありき、という結果が見え隠れしてしまいますね‥
この条件に恵まれた人たちは、現在ももちろん、社会で立派に活躍しています
一方で、厳しい時代+サポートどころか私を攻撃してくる毒親にさんざんふみにじられ、疲れ果てた私‥
その違いは痛いほど浮き彫りになっています
こんなところでも、普通家庭で生きる人と、毒親家庭で生きる自分との違いをまざまざと見せつけられますね‥
就活の話に戻ります。
実は、自宅から通える範囲にある、とても魅力的な職場から、一次面接の通知が来たんです
いざ面接へ。自分なりに手ごたえを感じたものの‥残念ながら、結果は不採用でした
実はその職場は、いわゆるコネ、口利きがあれば、筆記さえ通っていればすんなりと採用されたらしい、ということをものすごく後になって毒親が知ったらしいのです
毒親はそのことを、「あんたコネないから落ちたね!アハハ」と笑い話にしやがったんです‥
あのときの毒母のなんか薄汚くて嫌な笑顔は、いつまでたっても忘れられません
せめて「力になれなくてごめんね」の一言ぐらい、嘘でも言えないのか?
子が不採用になるのを笑い話にしてしまうような残念な人間だから、そんなこと少しも頭には浮かばないのだろうなぁ‥
やっと決まったブラック企業で働く私に、毒親がかけた言葉は
なんでもいいから早く働け!と毒親にせっつかれていた私は、やっと採用をもらえたブラック企業に焦って入社を決めました。
この会社は新入社員の採用の仕方が「大量に辞職することを見越して、大量に新入社員を入れる」とブラック味がびんびんににじみ出る会社でした。
ここで働いていると、だんだん感覚はまひしてきます。
例えば、夜中の残業中は「深夜は電話が来ないから仕事に集中できていいな」と思ったり、毎週金曜日は「やった、明日は休みだから、朝までゆっくり仕事できる!」という感じです
おかしいですよね‥それでも、仕事というのは覚えて取り組むと結果が出ますし、結果を出すと承認をもらえるので、私はこのブラック企業での仕事を、意外と楽しくやれてしまっていたんです。
毒親育ちは親から粗末に扱われることに慣れすぎているためか、苦しかったりおかしい環境などにも変に適応しがちなんですよね‥
これも毒親育ちあるあるといえるのではないでしょうか
そしてこれはブラック企業あるあるかもしれませんが、同じきびしい長時間労働をする年の近い同僚たちとは結束が固く、深夜残業の後にいっしょに朝まで飲みにいって話をしたりと、まわりの人間関係もほどほどに良好だったのですよね
しかし‥こうしてなんとか働きだした私に対して、毒親はまたもや無神経な言葉を吐き続けます
お前の会社おかしいだろう。
残業手当も出ないでそんなに早朝から深夜まで働くなんて聞いたことがない。
俺は残業したらいつも手当を満額もらってるぞ。
そんな仕事早く辞めて次を探せ
(出勤準備をする私に)
お前うるせえなあ!
夜中まで働いたり休日出勤する人間が家にいると、気が休まらねぇんだよなあ!
働いたら働いたで、また文句ぶつけてきやがるんです
毒父は、あほでも若ければ簡単にホワイト職に就けるいい時代に生きた人でした。
その目線で、ブラックにやっと引っかかって、そこにしがみつくように勤める私を批判し、こきおろしてきました。
こんな無知無理解な人間に無神経な言葉を家庭で吐かれつづけながらも、やっと見つけたブラック企業に必死にしがみついていた20代の私は、よく毒親をこの手でどうにかせずにここまでこれたものだと感心してしまいます。
まぁ私が手を下さずとも、毒父はこの後まもなく、病に倒れて急死するのですが‥
このように、毒親はいつでもどんなときでも、無知で自己中な言動で私を苦しめ妨害するだけではなく、
- 子を助けない
- 子の苦しい立場を知ろうともしない
- 恵まれていた自分の就職と子を比べてマウントをとって気持ちよくなる
…というクソムーブの数々を相変わらずぶつけてきました。
ただでさえ大変な就職氷河期での就活を、実の毒親によってより困難を押し付けられた状態で行わなければならない。そしてやっと就職できたブラック企業での激務‥
氷河期+毒親育ちの私の20代は、若さとその体力頼みに、心身に大きな負荷をかけながら日々生きていました
毒親+就職氷河期。ダブルの不運に遭った私はその後どうなったのか?
就職氷河期と毒親という二つの大きな困難が同時にぶつかった人間は、これまで書いてきたように、苦と苦が掛け合わされ、受けるダメージは増幅されます
就職氷河期の就活、そしてやっと入社したブラック企業からは膨大な時間やエネルギーをひたすら奪われる。
そしてその不運な時代のおかげでこうむった苦しみだけではなく、家庭では、毒親から無神経な言動で心を刺され続け、ますますダメージを受け続ける‥
20代で就職氷河期・ブラック企業・毒親になぶられ、使いつぶされた心身をひきずり、それをだましだまし生きてきた果てに、30代となって頼れる若さを失った頃、
私は重度と診断されたうつ病に倒れました。
40代となった現在でもこの病を抱えながら、普通に働くことすら、普通の日常生活を送ることすら困難な人間となってしまいました。
社会と家庭の不運、それに対する長年の無理が、中年以降の心身に祟ってしまった状態です
まとめ
このように、私は毒親によって、一人の人間としてしっかりと生きる土台をぐちゃぐちゃにされ、人生の節目では様々な手を使われ、邪魔をされてきました。
そんな中でも「ちゃんと就職して、一人の社会人として自立したい」と必死に動き回っていたのですが‥自立の大きなチャンスである就活の時期は運悪く社会環境が極悪‥
毒親と極悪社会環境。
この二つの悪魔のタッグによって、私はこの世で一人の人間としてまっとうに生きることを何重にも阻まれただけでなく、そこで長く受けた大ダメージによって後遺症が残り、30代以降からは普通に働くこと、動くことすら困難な状態となってしまいました。
かつて毒親と厳しい社会に一人で立ち向かい、あんなに力をふりしぼってがんばってきたのに、これがなれの果てか。と‥処方された抗うつ剤と精神安定剤を用意してざらざらと飲みながら、なんともむなしい気持ちになります。
もはや40も超え、人生を大きく挽回するような気力も時間もない、負け試合の消化試合のような日々を送る、毒親育ち+就職氷河期のダブル暗黒攻撃に遭ったなれの果てである人間(私)。
それとは対極的に、さきほどご紹介したように、ちゃんとした親や周りの人に恵まれ、そのバックアップを受けることができて、かつ自助努力のできる同世代たちは、親や本人が社会環境の流れを見極めた上での適切な行動を取り、やがてしっかりと立派な職に就き、今も社会で活躍しているのです
極悪な社会環境の中にあると、生まれ落ちた家庭が、そして親がどんな人であるかということによって、人生の明暗はよりくっきりと分かれてしまう、ということがとてもよく理解できるお話ではないかと思います‥
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