毒親育ち

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毒親育ちと母の日

毒親育ちにとっての「母の日」とは、真心を毒親に蹴散らされる日でした。毒親にとって、子供の真心なんてどうでもいいもの、粗末に扱っていいもの、なんですよね‥
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毒親がピンチに陥った時。家族の反応は?その2

その1の続きです。リストラに遭った父を端から見て学んだことがあります。それは、人は窮地で様々な本性が嫌でもあらわになること、たった一つのことに思考停止状態で人生をかけてしまうことの危うさ、です。
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毒親がピンチに陥った時。家族の反応は?その1

毒親が大きなピンチに遭った時、家族は一体どんな反応を示すのか?リストラというピンチに遭った毒父に、我が家族は誰一人寄り添うことはありませんでした…そんな悲しきひとつの毒親家庭の思い出を綴っていこうと思います
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周りの優しい人たちに、必死に愛情を求めた毒親育ち

毒親育ちは愛情に飢えています。毒親からは「条件付きの愛」や「思い付きでのその場の可愛がり」などのろくでもない愛しかもらえないからです。愛をくれる人にしがみつき、やんわり拒否され、あきらめるという悲しい経路をたどった幼い頃のお話です
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「私は17歳で、力尽きるかもしれない」悲しい予感を抱えていた毒親育ち

私には霊感はありません。 直感が鋭いわけでもない、ごく普通の人間なのですが、 幼い時からなんとなく、一つの予感めいた考えが心の中にあったんです どんな考えだったのかというと… 私の人生って、17歳ぐらいで終わってしまうのではないかな なぜか...
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毒親から逃れた毒親育ちは、そこから人生を一から作り直さなければならない

毒家庭に生まれ育った人間は、究極の二択を迫られます。このまま毒に染まって生きるか?それとも脱出して新たな生き方を模索するか。この記事では、私が選択した後者の生き方を詳しく記していきたいと思います
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本心を殺し、毒親に寄り添い、いいなりに生きていた時の話

私には、毒親から離れようと思えば離れられたのにそれをせず、ずっと毒親のそばにいた時があります。なぜ当時の私は、毒親から逃げ出そうとしなかったのか?その時の私の気持ちは一体どのようなものだったのか?そのことを記事にしました
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子供の自立を嫌がり妨害する毒親

毒親は、子供の自立を嫌がり邪魔します。なぜかというと、自分の思い通りに動く道具として手元に置いておきたいという欲を優先するからです。毒親に自立を邪魔された毒親育ちは疲れ果て、ろくな人生を歩むことができなくなることが少なくありません
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子供に習い事や勉強を押し付ける毒親・疲れて病む子供

毒親は自分の欲求を満たすために、子供に勉強や習い事などを強制します。子供のためというより自分のため。毒親に振り回される子供は、幼い頃から大きな疲労感やものごとに対する極度な嫌悪感などを持つことになってしまいます
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「ここから逃れたい」ともがいたら、思っていたのとはまったく違う場所にたどりついた

毒親家庭が辛く苦しくて、社会に居場所を求めてもがきましたが、たどり着く前にうつ病に倒れました。現在の私も、何も持たず、誇れるものも何一つない状態なのですが、なぜか私の心はこれまでよりずっと軽いんです
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